第三期生

村上 雅哉むらかみ まさや

情報科学研究科 情報ネットワーク学専攻

大阪大学基礎工学部出身

インタビュー

小学校の卒業式で「歌手になる」と宣言

小学校の卒業式で、「微生物が感動するぐらいの歌手になるんだ」と宣言したそうだ。高校生の時は軽音楽部のバンドでボーカルを務め、歌唱力の向上のため陸上部にも籍を置き、部長も務めていた。高校3年生の9月、文化祭でバンドの引退ライブを開いた時、200人ぐらい入る部屋に詰めかけた聴衆が泣いてくれた。「人が感動してくれることが、こんなに嬉しいんだと実感しました」。

中学高校の頃から、生徒会長や部長など、人をまとめる役割に抜擢されやすいタイプだったそうだ。「人を束ねたり、たくさんの人と関わったり、チームをまとめて一つの企画をアレンジしていくことが好きになっていった」という。

人見知りしないのが強み。知らない大勢の人間がいる中で自分から発言することに苦手意識がない。「母親が小さい頃からいろんな公園を連れて回って、遊び相手が毎日同じ子にならないように気を使ってくれた教育のおかげのようです」。

芸術的な感性を大切に

「歌手になりたいねんけど」と周囲に相談した時期もあったという。しかし、歌手を生業にすることの難しさを痛感し、生涯の趣味として付き合うことを決意。強い関心のあった情報科学を学ぶために阪大の基礎工学部へ。

研究室にて。

バンド活動は大学1年で終えて、以降は勉強に没頭し、飛び級で大学院に進んだ。

研究や人をまとめるときには、音楽などの芸術に求められる感性を大切にしたいという。「ちょっとした工夫、発想、着眼点といったところで、ロジックだけではなく、そういう感性も重要になると思っています」。

現在の研究テーマは、コンピューターネットワークを、生物に着想を得て発展させることだ。ヒトの脳の持つ省エネルギー性、障害に対する強さなどを、コンピューターネットワークの設計に取り込めないか探っている。

世の中の笑顔を20%増しにしたい

「国際的に活躍するイノベーションリーダーの育成」を掲げるHWIPの理念に惹かれて、博士課程への進学を決めた。学際的な研究だけでなく、多彩な異分野の仲間との交流や、豊富な国内外での研修の機会などで、人脈や経験を広げることができたという。

卒業後は、研究者ではなく、研究成果から生まれたものを事業化して世に出していくような立場で働きたいと考えている。「30歳代ぐらいまでは、実力主義を重んじる外資系や海外の企業でいくつか働いて経験を積みたい。その後は、自分で起業してみたいという思いもあるので、色々な所を経験して力を付けながら、考えていけたらと思っています。やっぱり歌手になると言い出すかもしれませんが」と笑う。

「僕が生み出した事業やプロダクトによって、人が笑顔になったら嬉しい」という。この思いの原点にあるのは、高校生の時、自分の歌で観客が泣いてくれた体験だ。「人を感動させたい。自分の行動の結果で、世の中に笑顔が増えたら嬉しい」。

2017年6月インタビュー

博士後期進学の決意と同時に、このプログラムへの応募が決まりました。

Q プログラムに応募した動機は?

当初は博士後期課程進学を考えていなかった私ですが、学部生活を過ごす中で、「博士号は、世界の第一線で活躍するためのライセンスである」ということを耳にすることがありました。博士号は、それを持たない人とは一線を画する錬磨された思考力を持つ証明書となり、その過程に意義があると。野心の強い私の心は徐々に揺らぎます。そんなときに、学科の担任の教授がこの魅力溢れて止まないプログラムを紹介してくださったのです。異分野の知見を取り入れ、イノベーションの方向を変えることのできるグローバルリーダーを育成するというこのプログラムの理念には大いに賛同し、「これや!これしかない!」と思ったのを覚えています。博士後期進学の決意と同時に、このプログラムへの応募が決まりました。

Q プログラムの魅力は?

様々な機会が提供されること、そして様々な人と交流を持てることです。もう、最高です。このプログラムに参加してまだ3ヶ月ですが、淡路島での新入生合宿、北海道でのリーディング学生会議に参加し、そして7月は奈良で若手研究者合宿があります。通常の大学院生活では味わえない経験ができ、人種や価値観、所属、専門分野を超えてブッ飛んだ人たちとぶつかり合えることが、本当に刺激的で楽しいです。今後も、プログラムが提供する機会を大いに活用し、自身の成長に繋げていきたいです。想像するだけで、わくわくが止まりません。

Q 将来の夢・目標は?

世界の笑顔20%増量。

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